ぼっち女子の徒然日記

50代おひとりさま。日常のこと、母のこと、徒然なるままに…

祖母との思い出、許してもらえるかな…

私は父方祖母と同居していて、小さい頃は祖母が大好きでした。そして、祖母もとても私を可愛がってくれました。夜に泣いて寝ない私を、一晩中おんぶしていてくれたこともあったと母から聞きました。

祖母がまだ仕事をしていたときに、一緒にお風呂に入りながら「お仕事辞めてずっと家にいてくれたらいいのに…」と、祖母に言ったことを覚えています。

しかし、実際に仕事を辞めると、私の成長も相まって、とたんに口うるさく感じてしまい、発言を後悔したこともセットで覚えています😅

私が幼稚園の頃、家には祖母と私の2人だけで、私が転倒してテーブルの角で後頭部を強打したことがありました。祖母は私をおぶって、病院まで走ってくれました。あの時の祖母はいくつだったんだろう…

家はもぬけの殻で、血のついたタオルだけが残された我が家に帰ってきた両親は、とても驚いたそうです。

小学生の頃までは、祖母の耳かきをしたり、白髪抜きを1本5円、後に1円で請け負ったりしていました。

信仰などはあまりない祖母でしたが、父が心臓の手術を受けた日には、ずっとそわそわしてお仏壇に手を合わせたり、お経の本を心臓に当てながら横たわっていて、その時は、『祖母』ではなく『父の母親』なのだなと、初めて認識しました。

 

そんな祖母とも、嫁姑の関係が段々とわかってきて、2人の板挟みになるなることが増えた頃には、母の味方について、祖母との間に隙間というか、遠慮が生まれるようになりました。

私は気持ちが一方向に向いてしまう質なのです。バランスよく両者を愛することができませんでした。

それからは、祖母を疎ましくさえ思うようになりました。

祖母が海外旅行から帰ってきた時にも何も言わず、「お帰りなさいくらい言いなさい❗️」と叱られたこともありました。

 

今でも忘れられないことがあります。

ある夏の夕方、隣の部屋から、バタン❕という音がしました。昔の扇風機はとても重たかったのですが、それを運ぼうと抱えた祖母が、扇風機と一緒に倒れてしまったのだとすぐにわかりました。

それがわかりながら、心の何かが邪魔をして、助けにいくことすらしませんでした。幸い怪我もなかったので、何事もなかったように過ごしました。

ひどい孫でしょ?今でも思い出す度に胸が痛みます😢

 

後に祖母は、施設で暮らすようになりました。最後まで頭がしっかりしてくれていて、本当にありがたかったです。

施設に入る頃には、祖母とのわだかまりもほぼ消えていましたが、過去のことを謝ったりはできませんでした。

就職で家を出て、時々しか帰省しない私でしたが、その時毎に、「もっと涼しくなってから帰ってきなさいね」「もっと暖かくなってから帰ってきなさいね」と愛の溢れる言葉をくれました。それに気付いたのは最近なんですけどね…

 

祖母がそろそろ危ないと連絡を受け、実家に向かう準備をしていると、母から亡くなったとの連絡を受けました。もう少し待っていてくれたらな…いや、私がもう少し早く行くべきでした。

孫思いの祖母は、仕事を休みにくい私のことを思って、三連休の初日に逝きました。

祖母の亡骸が荼毘に付されるとき、生まれて初めて「本当に死んでるのよね?途中で熱い❕❕てならないよね?」と心から心配になりました。そんなことあるはずないけど。

 

祖母が亡くなって10年以上になります。今思うと、すごく素敵な祖母でした。いろいろと祖母の話を聞かせてもらいたかったし、悔やまれることもたくさんありますが、愛してもらったことに感謝しています。

 

扇風機のこと、どうやって謝ったらいいのでしょうかね?


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お花が大好きだった祖母が、端正込めて育てていた薔薇です。